代表者紹介

建築を志すきっかけ

 中学生時代、努力しなくても美術の成績だけは少し良かったので、そうした特技を生かせると考え、函館工業高校のインテリア科に進学しました。

そこでは建築製図の授業があり、その時間、夢中になることが出来ました。これが建築の道に進むことにしたきっかけです。

 

私の家は、母子家庭だったので大学への進学は難しく、高卒にて就職した方が良い状況でした。地元函館には、希望する就職先はなく東京に出ることにいたしました。

東京都北区で信頼と実績のある建設会社で施工管理として働きながら、夜は専門学校に通い、建築士の受験資格を得ました。 

就職した建設会社では、設計の業務を希望いたしましたが、施工部門が大きくなかなかその機会に恵まれず、個人住宅から民間マンション、官公庁施設に至る施工管理の業務に携わっておりました。

東京では、割と大きな建物の建築業務に就かせていただくことが多かったですが、トイレや建具を初めとする建築寸法の原点は、住宅建築にあることを肌で感じる機会が多かったので、一度しっかり住宅建築に携わりたくなりました。

建築設計は一級建築士の吉田泰士
手描きの図

 

東京での暮らしに区切りをつけ、地元函館に移ろうかと考えたましたが、函館では希望する会社はなく、札幌の注文住宅を扱う工務店に就職しました。 

 

これまでの業務経験から、現場管理の業務に携わらせていただきましたが、そこは全員営業みたいな会社で、電話を受けた人間が接客して契約まで対応していく業務スタイルでした。 件数やっている担当者が会議等で賞賛を受けているのを見て以降、契約について貪欲になり、相応の成果を上げられるようになったころ、ローコスト住宅部門の部長を任されました。

私の母は、「あなたが設計した家を見てみたい」と言い残したまま旅立ってしまいました。 

その言葉がずっと引っかかっていて、いつしか設計も行うようになり、設計から施工まで一貫して責任をもって対応する業務スタイルが出来上がりました。

会社ってところはあまり時間がないんです。営業や見積、工事手配などの仕事をしているだけで1日が終わります。

営業会議である程度の担当件数がないと気まずかったり、アフターメンテナンスなどは基本業者さん任せ。電話確認はすれど現地を細かく見ている時間が取れない。 やはり建てた家は、しっかり最初から最後までこの目で見て、手を掛けて確かめていきたいという思いが強くなり、独立に至った感じです。


本社の住所は東京に置くことにいたしました。

板橋区は東京時代に居住していた地域でご縁があったことと、北海道での家づくりは得意ですが、全国各地でも家を建てたい、そんな思いからです。その地の気候風土について勉強し、家づくりに反映させる過程はとても楽しいものです。 

2022年8月 重症の怪我を負う

現場の穴あけ作業中に工具が暴れ、足に重症の怪我を負いました。

人生で初めて救急車のお世話になりました。

もうお終いかと思いましたが幸い神経や重要血管を外れていたため、何針も縫いましたが、松葉杖生活を経て職場復帰できました。

 

設計・現場管理者は本格的な工具を使った仕事は専門職にお任せすることが通例です。

しかし、建築のためには、職人さんが使っている工具や作業姿勢が危険な場合、注意しなければなりません。

どのような力が加わって建物が成り立っているのかを身体で感じて初めて、建築を知ると考えています。

 

「人任せにしないで、自分でも手掛けてみる」ということを重要視して行動しています。


学歴


1992年3月

北海道立函館工業高等学校インテリア学科 卒業



1994年3月

中央工学校(夜間)建築科 卒業



資格


2000年  2月

一級建築士登録



2001年  2月

一級建築施工管理技士登録



2013年  3月

宅地建物取引主任者登録



2024年12月

給水装置工事主任技術者(試験合格)



職歴


1992年4月

越野建設株式会社(東京都) 入社



2001年12月

越野建設株式会社退社



2002年1月

株式会社三五工務店(札幌市) 入社 後にリコハウス事業部部長



2013年8月

上記三五工務店の関連会社 株式会社ドリホ入社 管理建築士



2015年6月

総合資格学院 非常勤講師



2018年5月

株式会社リヴスタイル(ドリホから社名変更)退社



2018年5月

くくのち株式会社/いざなみ宅建 設立